オラン (Oran)
アルジェリアの主要港の一つで、商業の中心地でもある. バーが建ち並び、夜毎にコンサートやダンスショーが催されるオランはアルジェリアの歓楽地の一つにも挙げられる. オラン市内には3つの大学があり、オランの旧市街部にはカスバ(城砦)や18世紀に建てられたモスク(寺院)などがある. また、アルベール・カミュの小説『ペスト』の舞台としても知られている.
903年にイベリア半島のイスラム教徒によって商業の拠点として建設された町がオランの始まりである. オランはイベリア半島への小麦粉の供給地となり、ムワッヒド朝、ザイヤーン朝の時代に繁栄した. 1509年にスペインのシスネロスに占領され、町は衰退する. 1708年にオランはオスマン帝国に征服される. 1732年に再びスペインが奪い返したものの、オランの貿易都市としての必要性が下がったため、時のスペイン王カルロス4世はオスマン帝国に町を売却した. 1791年にオランはオスマン帝国に編入され、オラン州の州都に定められた. オスマン帝国の支配は1830年にフランスがアフリカの植民地の拠点としてアルジェリアを占領するまで続く. 1831年にフランスに併合された後、ヨーロッパからの入植拠点として近代的な市街地が建設され、20世紀後半のアルジェリア独立後の大都市の原型となった.
フランス植民地時代のオランは200,000人のヨーロッパ系入植者が居住する、ヨーロッパ風の近代的な都市として繁栄を享受していた. 第二次世界大戦時には事実上半ばドイツ占領下にあるヴィシー政権下に置かれ、1942年後半のトーチ作戦で連合国軍によって占領されるまでそれが続いた.
フランス海軍の艦隊がドイツの手に渡るのを恐れたイギリス軍がフランスに対して艦艇をイギリスの港に回航すること、自沈すること、英軍と戦闘を交えること(艦隊を壊すため)などの最後通牒を突きつけるが、フランスはこれを拒否. 1940年7月3日までに、イギリス海軍はフランスの艦隊が残るオラン港を機雷で封鎖、英仏艦隊間で激しい砲撃戦が行われた(メルセルケビール海戦).
1962年7月5日以降は独立に伴い、アルジェリア領となる.
地図 - オラン (Oran)
国 - アルジェリア
アルジェリアの国旗 |
アフリカ世界と地中海世界とアラブ世界の一員であり、アフリカ連合とアラブ連盟と地中海連合とアラブ・マグレブ連合に加盟している.